【書評】一橋ビジネスレビュー デザインエンジニアリング

This post was originally posted in Medium at 11/04 2015.


一橋ビジネスレビューのデザインエンジニアリング特集を読んだ。

本書では、デザインとエンジニアリングの統合と、デザインとエンジニアリングの視点を兼ね備えたデザインエンジニアという人材の必要性について述べられている。

私自身、デザインエンジニアとして活動していたいという想いがあり、本書は参考になった。

  • 産業革命以前は、技術・設計とデザインが明確に分割されていたわけではない
  • 工業化による大量かつ効率的な生産てまは、意匠まで美しくすることができなかった
  • 19世紀末モリスらのアーツアンドクラフツ運動の影響により、芸術と工業化を統合かつ両立する可能性

を模索した。

  • バウハウスでのデザイン教育により、機能美や国際様式など、デザインと産業が結びつけられた
  • フォードやGMなどは大量生産に適した標準的な設計を採用したり、スタイリングを行った。このあたりから、インダストリアルデザインが始まった

このあたりの歴史を知るだけでも、現代のデザインという意味がどのようにして形成されたのかということがわかる。

また、近年、デザインとエンジニアリングを統合している企業として、アップルは誰もが想像するところではあるが、本書ではダイソンを取り上げている。

創業者であるジェームズ・ダイソンも、自らをデザイン・エンジニアと呼ぶようだ。ダイソンにはデザイン・エンジニアが多数在籍しており、そのほとんどがデザインとエンジニアリングの両方の教育を受けているらしい。

そのような体制が国レベルで進んでいるイギリスはさすがである。

先日のIDEO共同創業者トムケリー氏の講演で、ダイソンはファーストプロダクトをリリースするまでに、5127回のプロトタイピングを行ったと言っていた。

このようなプロセスを実行できるには、やはりデザインとエンジニアリングの両方を兼ね備えたデザインエンジニアが必要であろう。

二つ目の山中先生のデザインエンジニアについての論文が、私の頭が整理される内容になっていた。 なぜ、スタイリング・形と、エンジニアリング・機能が分離してしまったのかという問いからはじまる。 ルイス・ヘンリー・サリヴァンの「形は常に機能に従う」という言葉は機能と形の融合を目指す言葉として使われるが、この言葉こそ形と機能のコントラストを浮かび上がらせたものではないかと書かれている。そして、バウハウスにはじまる20世紀のデザインでは、機能主義的な側面を浮かび上がらせるたまに機能という概念を形から分離してしまったのではないかと考える。

バウハウスはそのようなことを目的としていたのではないが、アメリカに渡り大量生産を核とする資本主義経済と結びつくことで、形の専門家が切り出されたと指摘している。

そのような役割でのデザインは技術開発の下流工程であったことは間違いないとし、21世紀にはデザインはより深いところから人と技術の関わりを模索し、開発の初期から関わって昨日と形を統合的に計画する役割を果たす上流工程になったと述べている。

その理由として以下の3点が挙げられている。

  • 成長の限界

詳細については割愛するが、20世紀後半にはエンジニアリング=製品の中身、デザイン=製品の外観という近代資本主義における典型的なものづくりが、20世紀後半にほころびを見せるようになり、デザインの上流工程が採用されていると述べている。

つまり、形と機能を分けて効率的に生産できるようになり、そこそこのものを手に入れられるようになったものの、それによって生じたユーザーの多様化、細分化の圧力によってデザインとエンジニアリングを同時に考えなければならなくなったということだと認識した。

山中先生が提唱しているデザインの定義も明快で分かりやすい。

「デザインは、人と人工物あるいは人工環境との関わり全てを計画し、幸福な体験を実現する技術である」

幸福な体験というところがポイントである。デザインが、ユーザーに何らかのベネフィットをもたらす活動でなければならないということは、心にとどめておきたい。

後半はデザインエンジニアについて述べられているが、ここで述べられている「科学と芸術の方法論の違い」という部分を読んで、考えが整理された。

エンジニアリングは自然科学をベースとしており、真理は常に客観性とともにあろうとする。論文という形で発信され、学習可能であり、検証が記述されている。

一方、スタイリングは芸術をベースとしており、真理は常に人間の主観にある。作品という形で表現され、共感によって共有される。

この方法論の違いは、まったく噛み合わない。

また、学習方法も異なる。

科学は人類共通の知識体系であり、知識は学習可能なものとして記述されており、膨大な知識を習得する必要がある。

芸術は、既存の芸術を必ずしも知っておく必要はなく、自分の感覚を洗練させ表現力を高めるための技能の修練が必要である。

ハイブリッドな人間になるには、学習と修練の両方を行い、それぞれの作法を習得する必要があるが、たとえ習得したとしても、科学・芸術の思考方法は個人の中で常に矛盾した存在としてあり続ける。

この後、一人の人間がこれをなす意味として、一人の人間が一つの価値観に基づいてデザインとエンジニアリングを行うことに20世紀的な思考からの脱却があり、デザインエンジニアリングの肝があると述べている。

「一人の人間が一つの価値観に基づいてデザインとエンジニアリングを行う」

この行動により、ある技術に特化した商品、思い切って機能を捨て去った商品、大胆なスタイリングが生まれるという。

そして、デザインエンジニアは、個人の中の2つの文化に引き裂かれる存在であり、両者を行き来しながら開発を進めていく。これを「デザイン・イノベーションの振り子」と呼ぶらしい。

この一連の話で、非常に頭が整理された。

デザインエンジニアは、科学・芸術というそもそも思想の違うことを抱えこんでいるが、それを矛盾と受け入れて、自分が今どちらの状態なのかを意識して仕事をする必要がある。

この、矛盾していることを受け入れるという点が非常に納得のいく説明だった。

そして、イノベーティブな製品は、強いリーダーシップを持つ個人の価値観の下によく生まれるということ。

デザインエンジニアが一つの価値観で開発に関わることで、コンセプトが明確な製品が生まれるのだ。